首里城の正殿エリアを見た後は、その奥にある東のアザナへ。
東のアザナは物見台で、首里城内を一望できるスポット。
その後は外周をぐるりと回って観光終了。
焼失した首里城ですが、なかなか楽しめました。
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東のアザナは物見台で、首里城内を一望できるスポット。
その後は外周をぐるりと回って観光終了。
焼失した首里城ですが、なかなか楽しめました。
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世誇殿の奥の道が東のアザナへ通じる道。
もちろん先へと進みます。
東のアザナの手前にある広場にある門は白銀門。
この先にある寝廟殿と呼ばれる国王の霊柩を安置する場所があり、そこを国王が詣でるため時に通った門とされている。
他の人は脇門をくぐったらしいが脇門はどこだ?
白銀門の前にある大きな四角い石造りのものは雨水を貯留する施設だったとされている。
この四角い石積の下には空洞があり、そこに水が溜められていたらしい。
対面には御内原ノマモノ内ノ御嶽。
とても小さいですがコチラも御嶽。
首里城内にはたくさんの御嶽があったらしいですが、これもその1つ。
門をくぐると寝廟殿。
国王が亡くなった時に一時的に霊柩を安置する場所。
今は何もないですが、かつては樹木が生い茂り、薄暗い場所だったらしい。
そこからさらに進むと。
東のアザナへ出る。
東のアザナと書いてあがりのあざなと読む。
ココからは周りの風景が一望。
こう見ると、日本の他のお城とは全く違いますね。
まぁ、当時は琉球王国ですから、日本ではなかったですからね。
東のアザナから正殿エリアへの戻り道にあった湯屋。
この湯屋は女官の湯屋だったらしく、国王は違う場所で入浴していたらしい。
発掘調査時に薪を燃やした炭が発見されていることから、ココで湯を沸かしていたと思われている。
隣には小さな建物があり、おそらく着替え等ができる場所だったのではないかと。
順路に沿って行くと淑順門に出た。
ココは先ほど見た国王やその家族が暮らす御内原の表門とされている。
コチラは寄内ノ御嶽。
御嶽の場所は確認されていないのですが、この先にあったとされています。
中はかなり広い。
右側の建物が先ほどいた正殿エリアや御内原がある場所。
ココはかつて竹林があったそう。
正殿の床の間には竹が飾られていたそうで、ココから竹を採っていたと考えられている。
城壁近くにあるガマ遺構。
人の手で作られた洞窟で、18世紀初頭の古絵図に描かれていたもの。
ココはウシヌジガマと呼ばれ、女官たちの息抜きの場であったとされている。
ココから出土した遺物からグスク時代の15世紀から20世紀まで使われていたことがわかっている。
コチラは琉球王国が育成に努めたリュウキュウマツを再現。
琉球王国時代は松は造船や防風等重要な木であったとされている。
これは王宮で栽培されていたとされているタカイチュビ。
タカイチュビとはキイチゴのことで、様々な種類のキイチゴが栽培されていた。
子宝に恵まれる果物として、国王、王妃がよく食べていたのだとか。
先に階段があったのでそのまま進んでみる。
こう見るとかなり広いですね。
この先は正殿エリアや御内原の城壁をぐるりと歩くコース。
結構アップダウンが激しい。
どこまで続くのかわからず進む。
すると美福門という場所に出た。
もともとは首里城の東門だったと考えられている門。
その後コチラの継世門ができ、コチラが東門に。
通常は生活物資の搬入出口とされていたらしいが、国王が死去した際、この門をくぐり、世誇殿で即位の儀式を行っていたらしい。
搬入出口と即位儀式の門が同じ…。
ということで、かなり疲れたのもあり、時間もあまりないのでダブルツリーへ戻り、少し休憩をしてから空港へ。
次回も楽しみにしてくださる方はクリックをお願いします。
もちろん先へと進みます。
東のアザナの手前にある広場にある門は白銀門。
この先にある寝廟殿と呼ばれる国王の霊柩を安置する場所があり、そこを国王が詣でるため時に通った門とされている。
他の人は脇門をくぐったらしいが脇門はどこだ?
白銀門の前にある大きな四角い石造りのものは雨水を貯留する施設だったとされている。
この四角い石積の下には空洞があり、そこに水が溜められていたらしい。
対面には御内原ノマモノ内ノ御嶽。
とても小さいですがコチラも御嶽。
首里城内にはたくさんの御嶽があったらしいですが、これもその1つ。
門をくぐると寝廟殿。
国王が亡くなった時に一時的に霊柩を安置する場所。
今は何もないですが、かつては樹木が生い茂り、薄暗い場所だったらしい。
そこからさらに進むと。
東のアザナへ出る。
東のアザナと書いてあがりのあざなと読む。
ココからは周りの風景が一望。
こう見ると、日本の他のお城とは全く違いますね。
まぁ、当時は琉球王国ですから、日本ではなかったですからね。
東のアザナから正殿エリアへの戻り道にあった湯屋。
この湯屋は女官の湯屋だったらしく、国王は違う場所で入浴していたらしい。
発掘調査時に薪を燃やした炭が発見されていることから、ココで湯を沸かしていたと思われている。
隣には小さな建物があり、おそらく着替え等ができる場所だったのではないかと。
順路に沿って行くと淑順門に出た。
ココは先ほど見た国王やその家族が暮らす御内原の表門とされている。
コチラは寄内ノ御嶽。
御嶽の場所は確認されていないのですが、この先にあったとされています。
中はかなり広い。
右側の建物が先ほどいた正殿エリアや御内原がある場所。
ココはかつて竹林があったそう。
正殿の床の間には竹が飾られていたそうで、ココから竹を採っていたと考えられている。
城壁近くにあるガマ遺構。
人の手で作られた洞窟で、18世紀初頭の古絵図に描かれていたもの。
ココはウシヌジガマと呼ばれ、女官たちの息抜きの場であったとされている。
ココから出土した遺物からグスク時代の15世紀から20世紀まで使われていたことがわかっている。
コチラは琉球王国が育成に努めたリュウキュウマツを再現。
琉球王国時代は松は造船や防風等重要な木であったとされている。
これは王宮で栽培されていたとされているタカイチュビ。
タカイチュビとはキイチゴのことで、様々な種類のキイチゴが栽培されていた。
子宝に恵まれる果物として、国王、王妃がよく食べていたのだとか。
先に階段があったのでそのまま進んでみる。
こう見るとかなり広いですね。
この先は正殿エリアや御内原の城壁をぐるりと歩くコース。
結構アップダウンが激しい。
どこまで続くのかわからず進む。
すると美福門という場所に出た。
もともとは首里城の東門だったと考えられている門。
その後コチラの継世門ができ、コチラが東門に。
通常は生活物資の搬入出口とされていたらしいが、国王が死去した際、この門をくぐり、世誇殿で即位の儀式を行っていたらしい。
搬入出口と即位儀式の門が同じ…。
ということで、かなり疲れたのもあり、時間もあまりないのでダブルツリーへ戻り、少し休憩をしてから空港へ。
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