福原漁場の残りの建物へ。
さすが漁師とあって、漁に関するものが多く見応えがありました。
漁の道具には詳しくないのですが、当時の使っていた道具等貴重なものをたくさん見ることができた。

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奥の建物にも行ってみます。
コチラは途中にあった納屋場と呼ばれる干場。

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身欠きニシンを作る干場だったところ。
身欠きニシンとはニシンの干物のことで、冷蔵技術が発達していない時代は干物が一番の合理的な保存方法。
ちなみに1700年頃にはニシンの干物があったそうです。

土台のみ復元された雑倉の跡。

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詳しい説明はありませんでしたが、色々なものを保管していた倉庫なんでしょう。

奥の左手にあるのが米・味噌倉庫。

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1回につき20キロのお米を焚いていたくらいですから、相当な食糧を保管しておく必要があったのでしょう。
平面積40坪という家が1軒建てれるくらいの大きな倉庫。
当時は食糧庫には天敵のネズミ。
その対策として内壁と外壁の間に砂利を入れていたそうです。
叩くと音が違うとありますが、普通の音がよくわからないw

ココは網がかかっていますが食糧庫の様子を見ることができます。

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網が細かいので写真には不向きですが、通常見る分にはもんだいなし。

ココには色々は藁製品?的なものが保管されていますね。

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おそらく食料の保管のための道具。

コチラは調理道具でしょうか。

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と思ったら、昭和10年以降殆どニシンが採れなくなって農業に転向したらしい。
その農具の一部もあるのだとか。

たくさんの米俵。

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これもニシン漁が最盛期だったころはすぐになくなるくらいの量だったんだろうな。
と思ったら年間140俵必要だったらしい。
ちなみに1俵は60キロ!
てことは、8400キロ!
すごいな。
まぁ私も年間30キロくらいは食べてるか。
そう思うと基本白米だったらそれくらい食べるね。

最後は様々な樽。

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醤油や味噌、漬物が保管されていたとか。
ちなみに味噌は二斗樽が5樽必要だったらしい。
斗って単位ってあんまり聞かないけど?と思って調べると。
一升×10が一斗、一斗×10が1石。
なので一斗は18リットルでその2倍×5なので180リットル!

ちなみに明治33年当時、お漬物はたくあんが4斗樽×28、ニシン切込2斗樽×6、糠ニシン4斗樽8が用意していたとの記録があるらしい。
おかずが漬物メインとしてもたくあんすごすぎる。

食料蔵のお隣の網倉。

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漁具を保管する蔵です。
コレは大正3年くらいのもの。
元々木造だったらしいですが倒壊したため、トタン張りになったとか。

漁師の大切な生業用具の網や浮き等が保管。

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食料庫に比べてかなり小さいですが、ニシン漁が終わると廊下にも保管されたのだとか。

倉庫から主屋を眺める。

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雨が降って天気が悪いですが、すぐ目の前の海が見える。

主屋の右手奥にあるのが復元された石蔵。

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身欠ニシン等の製品を保管した建物。
コロナ影響で中は見ることができませんでした。

主屋のすぐお隣にあったのが文書庫。

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親方の貴重な品々を保管する倉らしいです。

中には食器や書物、楽器が色々保管されていました。

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1階と2階に並ぶ昔懐かしの品々。
展示物が多いので気になったものをご紹介。

まずは定番の食器。

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状態がかなりいいですね。
もう数百年したらかなり価値が上がるかも?

ふつーのみかんの箱だんですが、可愛い。

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和風ギター?

大正琴からレコードまで。

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サーキュレーターみたいな扇風機。

洗濯のたらい。

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ストーブ。

漫画本。

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と昔懐かしのものをたくさん見ることができる。
明治~昭和初期の生活も見れて楽しいです。

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