百間廊下を見終わったら西の丸をあった場所から天守閣を目指します。
西の丸は今は百間廊下と化粧櫓が残るだけで、のんびりとした広場のようになっていますが、狭間等の防御施設は残っているので、やはりココはかつて城だったんだな、と思わせる場所が残っています。

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化粧櫓から見た姫路城天守閣。

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後程書きますが、姫路城の天守閣はどこからでも見えるのですが、天守に辿り着くまでがすごく複雑に入り組んでいる。
ココからもすごく近いように見えるけど、簡単には辿り着けない仕組み。

さて、百間廊下を出てきました。

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まるで塀のように城を囲んでいる百間廊下の建物。

この近くにも武者溜りが。

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狭間も設けられています。

この狭間ですが、塀には一定間隔でたくさん備え付けられている。

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規則正しく〇、△、☐が並びます。

それぞれを見てみると。

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塀の狭間は正方形ではなく長方形。
ちなみに長方形の狭間は弓矢用で、その他は鉄砲用になっているらしいのですが。
じゃあ、〇や△とかにせず全部☐でいいんじゃないかと思っちゃうんですが。
丸部隊だとか三角部隊だとかに分けて、人員や役割の配置に役立てられていたんだとか。

今となっては芸術的な美しさがありますね!
当時は姫路城内で3000以上の狭間があったと言われていますが、現在残っているのは1000程。
それでも約1/3程が残っているのはスゴイですよね!

そしてこの西の丸には南北に門があったとされており、コチラは北門跡。

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手前に見える石の跡が門の礎石。
先ほどの武者溜りはこの門からの侵入者を攻撃するために作られたもの。
門の近くには武者溜りなんですね。

かつては色々な建物があったと思われる西の丸も今はのんびりとした庭園になっています。

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さて、それでは天守閣に向かいましょうか。

まず、やはり初めに出くわすのは門。

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こちらは「いの門」。
姫路城の門はいろはにほへと…で「いの門」「ろの門」「はの門」と名付けられています。
このいの門は高麗門と呼ばれる門。

ちなみに今までお城に訪れても門とかめっちゃ素通りだったのですが。
菱の門でも触れましたが、門ってかなり奥深い。

この高麗門っていうのを調べてみると…。
本柱の後方に控え柱を立て、本柱が支える切妻屋根とは別に、これと直角に控え柱の上にも左右二個の切妻小屋根をかけたもの。
ということなのですが。
さっぱりわけわかんないw
簡単にまとめると基本の柱と屋根の門に後ろの左右に小さい柱と屋根を付けた感じ。

この門を通って天守閣へと向かいます。

姫路城についてのアレコレはLINEトラベルjp記事の『天守閣だけじゃない!知れば知るほど面白い世界遺産「姫路城」』でご紹介しています。

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