さてお次は大石内蔵助邸です。
大石内蔵助邸があった場所は、現在赤穂大石神社になっています。
なので、長屋門のみであれば外から見ることができますが、中の庭園は赤穂大石神社に入らないと見ることができない仕組みになっています。

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近藤源八宅跡長屋門の斜め前辺りにあるのが大石内蔵助邸。

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コチラも江戸時代から残るもの。
お屋敷は1729年に起きた火災で焼失。
昔は火事が天敵でしたから。

実際に叩かれた門である大石内蔵助邸の長屋門。

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浅野内匠頭が起こした刃傷事件の知らせを持って早かごで駆けつけた早水藤左衛門、萱野三平が実際にたたいた門です。
ちなみに大石内蔵助邸というより、大石良雄宅跡長屋門という方が一般的かもしれません。

この門の中は入れないのか?
外側だけなのか?
と思ったら、どうやら隣の赤穂大石神社から中に入れるみたい。

赤穂大石神社は大石内蔵助邸のところに建っている、赤穂四十七義士と、義士に加わることを反対され自刃した萱野三平を主祭神としている神社。
赤穂大石神社の紹介は後にして、中の大石内蔵助邸の庭園紹介します。

庭園に入ると先ほどの長屋門があった!

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近藤源八宅跡長屋門より立派ですね。

近づいてみると門の前に何かある!と思ったら…

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なんと早かご!(のレプリカ)
江戸から赤穂までは155里で約620キロ。
通常であれば17日かかる行程を、なんと4日半で到着したそうです。
ほぼ不眠不休で走ったのでしょうね。
それにこのかごでは中で眠ることもできないでしょう。

江戸から赤穂に送られた早かごは2便で、第1便は浅野内匠頭の刃傷事件。
第2便は浅野内匠頭の切腹と赤穂藩の取り潰しの知らせでした。

長屋門の住宅のところに大石内蔵助の家族の人物紹介の人形が。

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明るくてもちょっと怖いですw

ココに住んでたかのように人形が置かれてありますが、この長屋はあくまで家臣の住宅。
なので別に屋敷があり、ココに住んでいたわけではありません。

屋敷は火事で焼けちゃって復元もできませんが、庭園は綺麗に復元されておりました。

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大きな池が特徴的です。

コチラは御神木の大楠。

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樹齢300年程らしいので、当時か、その後すぐ植えられたものかと。

大石稲荷社というものも。

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これは備中高梁の松山城の受取の際に無事を祈り作られたものだとか。
庭に社とはすごいですね。
ちなみに、大石邸は1900坪もあったとか。

その他にも色々な碑や像があります。

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写真を撮っていませんでしたが、子宝に恵まれる子宝陰陽石ってのもあるらしいです。

大石内蔵助邸についてはLINEトラベルjp記事の『その時歴史は動いた!兵庫・赤穂で忠臣蔵の足跡を辿ろう』でご紹介しています。

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