続いては赤穂駅から徒歩15分くらいの花岳寺へ。
ココは浅野家の菩提寺であり、浅野内匠頭の祖父である浅野長直公によって建立されたお寺。
境内には四十七義士の墓もあります。
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ココは浅野家の菩提寺であり、浅野内匠頭の祖父である浅野長直公によって建立されたお寺。
境内には四十七義士の墓もあります。
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コチラが花岳寺の山門。
この山門は赤穂城の塩屋惣門を移築したもので赤穂市指定文化財になっています。
駐車場はこの山門の中にあります。
コチラが花岳寺のマップ。
この黒い猫のキャラクターは義士ネコらしく、The47BlackCatsという名で赤穂で活躍しております。
なんか討ち入りや切腹などの義士ネコがいるらしい。
ちょっと可愛いw
色んなとこでこの義士ネコは目にします。
ふつーに銀行とかでも。
この見どころに沿って見て行きましょう。
鳴らずの鐘。
鳴らずの鐘とありますが、義士たちが切腹を命じられ自刃した時は永遠とこの鐘が打ち続けられたそうです。
で、打ち過ぎたためその後音が出なくなったそうで、鳴らずの鐘と言われているそうな。
今はちゃんと鳴るようですが。
ちなみに第二次世界大戦中は全国にある鐘は供出を命じられたそうですが、「義士との由緒深きにより」とのことで供出は免れたそうです。
コチラは二代目大石名残の松。
大石内蔵助が植えた松…だけど二代目?
コチラは初代大石名残の松の幹。
樹齢310年で枯死したそうです。
コチラを植えたんでしょうね。
コチラは本堂。
浅野家と大石家の家紋があります。
ちなみに右が浅野家、左が大石家。
中は時代を感じるお寺。
この入ってすぐのところに畳があるってのが、昔からのお寺な感じがする。
ちなみにお寺はよくわかりませんので、個人的感想ですが。
ココの見どころは天井のトラの絵。
ちょっと妖怪にも見える(失礼)この絵。
この絵は赤穂の画家である法橋義信の「竹に虎」。
1854年に五月の節句のために描かれた虎の絵らしい。
さて、この先からが有料。
中は一言で言うと墓!
そして義士宝物館と義士木像堂があります。
義士宝物館と義士木像堂は写真不可。
中は結構コンパクトなのですが、たくさんの見どころあり。
真ん中にあるのが忠義塚。
なんか亀?の背中に乗ってる…。
この建物は浅野家霊廟。
浅野家の菩提寺ですからね。
コチラは忠義桜。
春は綺麗な桜が咲くのでしょう。
でも全てに忠義とつけるのはどうなんでしょうね。
コレも現代の考えですが。
中国大理石観音像。
中国は国の中国なのか?
コチラが義士墓所。
ちなみに赤穂義士の墓は本来は東京の泉岳寺にあります。
義士の37回忌にこの赤穂にも墓所が建てられたらしい。
中央に浅野内匠頭、左右に大石親子、その周りが参加した義士。
この奥にも道があり、お墓になっています。
大石家、義士家族の墓、浅野家のお墓、浅野家の後明治維新まで赤穂を治めた森家の墓など。
浅野家三代の墓。
大石家先祖墓。
宝物殿は写真撮影不可。
大石内蔵助って備中高梁にいたことがあったのですね。
その頃に手紙等の展示がありました。
ついこの前に備中高梁に行ったので、なんとなく運命的な出会い?!
そして興味深いのが仇討ちの前日に届けさせた暇乞い状も。
前日ってすごいですね。
同じく写真撮影不可の木像堂は、その名の通り義士の木像が並んでいるのですが。
丁寧に石高まで書いてくれてるんですよね。
大石内蔵助は1500石ですが、その他は200石とかでやっていけるの…?っていらぬ心配をしてましたw
1石って金一両の価値なんです。
金一両はいろんな説があって6万~15万くらいとかなり幅広い。
10万とした場合、200石でも2000万ってなかなかもらってますね。
と思いましたが、これ全てもらえるわけではないみたいなんです。
200石の武士だと70石くらいになっちゃうみたいで、すると700万が手取り。
そこから家臣の給料払ったり、奉公人の給料払ったりで、多分めっちゃキツイんじゃないかと。
ちなみに200石は47義士のなかでも高給取りで、他はかなり低かった。
ということを色々考えておりましたw
さて、この後は赤穂城跡に行ってみましょう。
花岳寺についてはLINEトラベルjp記事の『その時歴史は動いた!兵庫・赤穂で忠臣蔵の足跡を辿ろう』でご紹介しています。
次回も楽しみにしてくださる方はクリックをお願いします。
この山門は赤穂城の塩屋惣門を移築したもので赤穂市指定文化財になっています。
駐車場はこの山門の中にあります。
コチラが花岳寺のマップ。
この黒い猫のキャラクターは義士ネコらしく、The47BlackCatsという名で赤穂で活躍しております。
なんか討ち入りや切腹などの義士ネコがいるらしい。
ちょっと可愛いw
色んなとこでこの義士ネコは目にします。
ふつーに銀行とかでも。
この見どころに沿って見て行きましょう。
鳴らずの鐘。
鳴らずの鐘とありますが、義士たちが切腹を命じられ自刃した時は永遠とこの鐘が打ち続けられたそうです。
で、打ち過ぎたためその後音が出なくなったそうで、鳴らずの鐘と言われているそうな。
今はちゃんと鳴るようですが。
ちなみに第二次世界大戦中は全国にある鐘は供出を命じられたそうですが、「義士との由緒深きにより」とのことで供出は免れたそうです。
コチラは二代目大石名残の松。
大石内蔵助が植えた松…だけど二代目?
コチラは初代大石名残の松の幹。
樹齢310年で枯死したそうです。
コチラを植えたんでしょうね。
コチラは本堂。
浅野家と大石家の家紋があります。
ちなみに右が浅野家、左が大石家。
中は時代を感じるお寺。
この入ってすぐのところに畳があるってのが、昔からのお寺な感じがする。
ちなみにお寺はよくわかりませんので、個人的感想ですが。
ココの見どころは天井のトラの絵。
ちょっと妖怪にも見える(失礼)この絵。
この絵は赤穂の画家である法橋義信の「竹に虎」。
1854年に五月の節句のために描かれた虎の絵らしい。
さて、この先からが有料。
中は一言で言うと墓!
そして義士宝物館と義士木像堂があります。
義士宝物館と義士木像堂は写真不可。
中は結構コンパクトなのですが、たくさんの見どころあり。
真ん中にあるのが忠義塚。
なんか亀?の背中に乗ってる…。
この建物は浅野家霊廟。
浅野家の菩提寺ですからね。
コチラは忠義桜。
春は綺麗な桜が咲くのでしょう。
でも全てに忠義とつけるのはどうなんでしょうね。
コレも現代の考えですが。
中国大理石観音像。
中国は国の中国なのか?
コチラが義士墓所。
ちなみに赤穂義士の墓は本来は東京の泉岳寺にあります。
義士の37回忌にこの赤穂にも墓所が建てられたらしい。
中央に浅野内匠頭、左右に大石親子、その周りが参加した義士。
この奥にも道があり、お墓になっています。
大石家、義士家族の墓、浅野家のお墓、浅野家の後明治維新まで赤穂を治めた森家の墓など。
浅野家三代の墓。
大石家先祖墓。
宝物殿は写真撮影不可。
大石内蔵助って備中高梁にいたことがあったのですね。
その頃に手紙等の展示がありました。
ついこの前に備中高梁に行ったので、なんとなく運命的な出会い?!
そして興味深いのが仇討ちの前日に届けさせた暇乞い状も。
前日ってすごいですね。
同じく写真撮影不可の木像堂は、その名の通り義士の木像が並んでいるのですが。
丁寧に石高まで書いてくれてるんですよね。
大石内蔵助は1500石ですが、その他は200石とかでやっていけるの…?っていらぬ心配をしてましたw
1石って金一両の価値なんです。
金一両はいろんな説があって6万~15万くらいとかなり幅広い。
10万とした場合、200石でも2000万ってなかなかもらってますね。
と思いましたが、これ全てもらえるわけではないみたいなんです。
200石の武士だと70石くらいになっちゃうみたいで、すると700万が手取り。
そこから家臣の給料払ったり、奉公人の給料払ったりで、多分めっちゃキツイんじゃないかと。
ちなみに200石は47義士のなかでも高給取りで、他はかなり低かった。
ということを色々考えておりましたw
さて、この後は赤穂城跡に行ってみましょう。
花岳寺についてはLINEトラベルjp記事の『その時歴史は動いた!兵庫・赤穂で忠臣蔵の足跡を辿ろう』でご紹介しています。
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