続いて訪れたのはベンガラ館から近い笹畝坑道。
この笹畝坑道は江戸時代から大正時代まで実際に銅を発掘していた坑道。
ココに吹屋がベンガラで栄えた秘密があります。

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ベンガラ館から笹畝坑道に向かいます。
ベンガラ館からは徒歩5分くらいかな。
自然な道が広がる。

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この吹屋が山の中にあることがよくわかる。

途中にあった吹屋の地図。

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もう1つ有名な観光場所として広兼邸があるのですが、かなり遠くて自転車とか借りないと難しい。

コチラが笹畝坑道。

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コチラは銅山で807年に発見されたとされるので、その歴史は当時でも約1000年。
この吹屋でベンガラが栄えたのはとても偶然のこと。

コチラが入口。

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この日はとても暑い日だったのですが、まるで天然クーラー。
この入口の前に来ると、とても冷たい空気が通っています。

中はとても長く狭い通路。

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入口でヘルメットを借りて中に進みます。
途中頭を何度かぶつけたのでw、ヘルメットがあった方がいいかも。

この木の枠は三つ枠組みというそうです。

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中は細く長い道が続く。
結構歩きます。

しばらくすると広い場所に出てきた。

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この辺りが主に採掘場。

ところどころにひっそりマネキン。

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なかなか怖いですw
現代とは違って当時は全て手作業。
かなり大変だったかと。

鉱石の違いを示してくれていますが、あまりよくわからず。

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もともと銅の採掘場であった笹畝坑道。
ベンガラの主成分であるローハは元々は磁流化鉄鉱石と呼ばれる捨石の鉱石。
たまたまこの鉱石を置いていたところが赤くなっていることに気づき、ベンガラ顔料の発展へと繋がっていったのです。

中には貯蔵庫も。

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これだけひんやりしていたら天然の冷蔵庫みたいだもんね。

これだけのものを手で掘っていたとなると、すごい労力。

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そして迷路みたいに長い。

この広場みたいな場所が終点で、出口までは長い階段を上る。

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このまま階段を上っていくと。

出口へ。

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ちょうど入口の真上に出てきた。

この山?丘?の中が全て坑道になっていて、それが昔から掘り続けられたものだと思うとスゴイ。

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江戸時代だと多分かなり坑道は出来上がっていたかと思いますが、1000年程の年月をかけて掘り進められたんだろうかと思うと、すごいの一言。

ベンガラ館と笹畝坑道を見たら結構時間がギリギリ。
帰りのバスもあるので、ふるさと村に戻りランチをします。

笹畝坑道についてはLINEトラベルjp記事の『一面ベンガラの赤!岡山「吹屋ふるさと村」でノスタルジック散策』でご紹介しています。

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