マカオ2日目、ヴィックズカフェで中国的アフタヌーンティーを楽しんだ後は、セナド広場へとんぼ帰り。
世界遺産に費やすことのできる日はこの日しかないので、行けるところまで行ってきます。
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とんぼ帰りしてやってきたセナド広場はもう夕方の17時ごろ。
人がたくさんいますが、ここのお店、店構えが素敵なのでリーバイスもスタバもとってもお洒落に見えます。
まずはセナド広場を進んでいったら目に入る聖ドミニコ教会。
ここも淡いクリームイエローに緑の窓とドアがとってもキュート。
こちらも現在の建物は1828年に再建されたもので、もともとは1587年にメキシコのアカプルコからやってきたスペインの修道士3人が小さな木造の教会を建てたものが始まりだとか。
この時全く気付かなかったのですが、後ろには鐘楼があり、美術品が納められている博物館になっているんだとか。
扉も閉まってたし、教会は結構見たのでそのまま先へ急ぎます。
次にカテドラルへと向かいますが…
なんと絶賛改装工事中。
なんとなく形がわかるものの、すっぽり覆いかぶさった緑の垂れ幕。
こちらは1622年に建てられ、日本や中国などを含むアジア地区の主教菅区だったらしい。
教会の中は入れたので、せっかくなのでここは中に入ってみるかー。
と入ったものの、結構熱心にお祈りを捧げている人たちが多く、写真も撮らず退散。
そしてこのカテドラルの前の広場。
大きい十字架があります。
たぶんこっちが広場であってると思うんだけど、よくわかんないので、その隣の建物も撮っておきました(笑)。
どこも石畳が味になる景色と建物。
そこからずんずん進み次に目指すは廬家屋敷。
てゆか、ふつーに歩いてたら通り過ぎてしまいそうだったんだけど…。
こちらは両替商などで莫大な富を築いた中国、広東省出身の廬華詔
の邸宅。
マカオに何軒かお家があったらしく、そのうちの1つなんだって。
こちらは1889年に建てられて、1910年まで住んでたらしーので、比較的最近のお話。
中に入ってみると、なんだかこのテーブルセット鄭家にもあったような…。
ま、時代が近かったらかな。
これも特に説明があるってわけじゃないので、当時の建築を知るのにはいいけどちょっと物足りない。
まぁ、中国語で書かれても読めないからいいんだけど。
でも、この正面の壁?ドア?はちょっと屏風っぽくて雰囲気あるなぁ。
この建物も中国と西洋が混ざり合って、芸術性が高いお家らしい。
そしてさっきの鄭さん家にもあったけど、この吹き抜け感がすごいいいなぁ。
窓にはステンドグラスがはめ込まれてて、こーゆー東洋と西洋の融合的なお宅は素敵だなと思っちゃう。
そして廬さん家を後にして向かったのは、マカオで一番有名なここ聖ポール天主堂跡。
ガイドブックのマカオといえば、絶対コレってくらいの確率で表紙に選ばれてるんじゃないかと思う聖ポール天主堂跡。
こちらは1582年に聖アントニオ教会付属の礼拝堂として建てられましたが、1601年に焼失。
その後30年かけて再建されたが1835年にまたまた火災が起き現在に至るそうな。
なぜ前面だけ残ったのかとゆーと、後は木造だったとどこかで聞いたんですがホントでしょうか…?
てか、同じ場所で2回も大きな火事って…。
ほんとは裏側から2階にあたる部分に登れるようになっているのですが、18時で閉まってしまうらしく、今回は登れなかった。
前回登りましたが、足がすくんですくんで大変だったんですけどね…。
このファサードの奥には博物館と納骨堂があるのですが、ここも既に閉まっておりました。
ちなみに日本人の殉教者の遺骨も納められているとか。
ま、開いてないものはしゃーないってことで次行きます。
次回も楽しみにしてくださる方はクリックをお願いします。
人がたくさんいますが、ここのお店、店構えが素敵なのでリーバイスもスタバもとってもお洒落に見えます。
まずはセナド広場を進んでいったら目に入る聖ドミニコ教会。
ここも淡いクリームイエローに緑の窓とドアがとってもキュート。
こちらも現在の建物は1828年に再建されたもので、もともとは1587年にメキシコのアカプルコからやってきたスペインの修道士3人が小さな木造の教会を建てたものが始まりだとか。
この時全く気付かなかったのですが、後ろには鐘楼があり、美術品が納められている博物館になっているんだとか。
扉も閉まってたし、教会は結構見たのでそのまま先へ急ぎます。
次にカテドラルへと向かいますが…
なんと絶賛改装工事中。
なんとなく形がわかるものの、すっぽり覆いかぶさった緑の垂れ幕。
こちらは1622年に建てられ、日本や中国などを含むアジア地区の主教菅区だったらしい。
教会の中は入れたので、せっかくなのでここは中に入ってみるかー。
と入ったものの、結構熱心にお祈りを捧げている人たちが多く、写真も撮らず退散。
そしてこのカテドラルの前の広場。
大きい十字架があります。
たぶんこっちが広場であってると思うんだけど、よくわかんないので、その隣の建物も撮っておきました(笑)。
どこも石畳が味になる景色と建物。
そこからずんずん進み次に目指すは廬家屋敷。
てゆか、ふつーに歩いてたら通り過ぎてしまいそうだったんだけど…。
こちらは両替商などで莫大な富を築いた中国、広東省出身の廬華詔
の邸宅。
マカオに何軒かお家があったらしく、そのうちの1つなんだって。
こちらは1889年に建てられて、1910年まで住んでたらしーので、比較的最近のお話。
中に入ってみると、なんだかこのテーブルセット鄭家にもあったような…。
ま、時代が近かったらかな。
これも特に説明があるってわけじゃないので、当時の建築を知るのにはいいけどちょっと物足りない。
まぁ、中国語で書かれても読めないからいいんだけど。
でも、この正面の壁?ドア?はちょっと屏風っぽくて雰囲気あるなぁ。
この建物も中国と西洋が混ざり合って、芸術性が高いお家らしい。
そしてさっきの鄭さん家にもあったけど、この吹き抜け感がすごいいいなぁ。
窓にはステンドグラスがはめ込まれてて、こーゆー東洋と西洋の融合的なお宅は素敵だなと思っちゃう。
そして廬さん家を後にして向かったのは、マカオで一番有名なここ聖ポール天主堂跡。
ガイドブックのマカオといえば、絶対コレってくらいの確率で表紙に選ばれてるんじゃないかと思う聖ポール天主堂跡。
こちらは1582年に聖アントニオ教会付属の礼拝堂として建てられましたが、1601年に焼失。
その後30年かけて再建されたが1835年にまたまた火災が起き現在に至るそうな。
なぜ前面だけ残ったのかとゆーと、後は木造だったとどこかで聞いたんですがホントでしょうか…?
てか、同じ場所で2回も大きな火事って…。
ほんとは裏側から2階にあたる部分に登れるようになっているのですが、18時で閉まってしまうらしく、今回は登れなかった。
前回登りましたが、足がすくんですくんで大変だったんですけどね…。
このファサードの奥には博物館と納骨堂があるのですが、ここも既に閉まっておりました。
ちなみに日本人の殉教者の遺骨も納められているとか。
ま、開いてないものはしゃーないってことで次行きます。
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