とりあえず緊急事態宣言中でも開いている網走監獄へ行ってみることに。
網走監獄って聞いたことはあるけど、はっきり言ってあまり知らない。
今の北海道があるのはこの網走監獄に収容されていた人たちの血と汗の結果なんですね。
とても勉強になりました。

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バスターミナルから網走監獄へ。

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こちらは監獄前にある鏡橋。
この橋は監獄に収容される時も、出所の時も通る橋。
「川面に我が身を映し、襟を正し、心の垢をぬぐいおとす目的で岸に渡るように」との意味が込められているらしい。

川には蓮かな?

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わかりにくいけど、少し花が残っていた。

橋を渡ったところが網走監獄の入口。

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多国語での「ようこそ網走監獄へ」の看板。

入場料を払って中に入ると正門。

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正門の前には看守の人形が。

ちなみに網走監獄の入場料はスマホでクーポン検索すると1割安くなる。
最近は入場する前に検索することにしている。

正門の艦首控え室に何やら人影。

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通常は門の前に立っているのだけど、悪天候の日はココで執務。
前髪がなんとも…。

看守控室の向かいには面会人待合室。

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身なりがいい紳士とご婦人。
面会には厳しい規制があったらしいから、身なりも整えていったのかな?

そのまま正面に進むと庁舎へ。

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見た目は素敵な洋館。
明治42年に火災焼失し、45年に再建。
網走監獄の管理棟として使用されていたものを昭和63年にこの博物館に移設。
当時流行りの和洋折衷の建築様式。

中は網走監獄やその他北海道にある(あった)監獄についての歴史がパネルで紹介。

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歴史としてはロシアの南下政策に対する防備を固めるために、北海道にたくさんの囚徒が開拓の先兵として送り込まれたのが始まり。
北海道で最初の集治監は石狩川。
2000人の囚徒が農地や道路、たくさんの建物を造った。
その後も北海道の各都市に大規模の集治監を造り、炭鉱での採掘、道路の開拓等を進めていった。
北海道の北の防備を固める中央道路の開削事業の拠点として網走囚徒外役所が誕生。
脅威的なスピードで中央道路を開削したが、過酷な工事でたくさんの囚徒が死亡、看守にも犠牲者が。
今の北海道があるのは、この囚徒たちの過酷な労働があったからと言われています。

この博物館である網走監獄は1983年に開館したのでもうすぐ40年になる。
確かにこの歴史は後世に伝えていく必要はありそう。
木造刑務所として日本最古の建物である網走監獄は建物自体にもとても歴史的価値がある。

奥にはビデオのコーナー。

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監獄を回る前にココに立ち寄るのがオススメ。

奥にはお土産コーナーもあり。

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網走監獄のお土産もあるけど、街でも買える。

庁舎で歴史の勉強をした後は順路通りに巡ってみる。
まずは裏門。

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大正8年に着工し、5年かけて受刑者がレンガを積み上げて完成させたもの。

その隣にある水門。

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網走刑務所の前方には網走川が流れており、この川を利用して生活物資を運んだりするのに活用。
これも受刑者によって完成させたもの。

職員官舎。

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看守長屋と呼ばれた職員官舎を再現したもの。

ココは中にも入ることができる。

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再現されている長屋は最も狭い間取りの約30㎡の官舎で現在の1LDKに値するもの。
1人暮らしならまだいいけど、家族がいると狭すぎるな。

再現の様子は3人暮らしかな。

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仕事を終えたお父さんが一杯やっているの図。

台所。

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ココで調理は冬は寒そう…。
階級が上がると広いお部屋にお引越しできたらしい。

隣は休憩所になっていた。

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この時期訪れている人も少なかったので誰も休憩していませんでしたが。

次回に続きます。
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