続いて義倉やアーチ橋を見ながら醤油蔵・麹室へ。
江戸時代の醤油づくりに関しても学べるので、醤油蔵はとってもよかった。
昔のレトロな醤油の壺だとかラベルも可愛い!

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途中にあった造り酒屋の井戸。

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石の産地だけあって、こちらも石造り。

続いて旧三崎の義倉。

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これまた義倉って何ぞや?なんですが。
義倉とは平時に稲や麦を貯蔵して、飢饉の時に支給する制度らしいのです。
1940年まで機能していたことにびっくり!

扉は固く閉ざされていますが…。

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奥には稲等を貯蔵していたよ、という展示があった。

でも物置にもなっているみたいでw

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色々現代のものが置かれていたのが残念。

アーチ橋なるものがあった。

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昔のこんぴら街道沿いにあったアーチ橋。
角閃安山岩といもので造られているらしく。
その昔、石棺にも使われていたものらしい。

アーチ橋の橋の上。

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なかなかの急斜面。
この橋が造られたのは明治中期ごろらしく、当時はレンガを床に張ったらしくモダンな橋。

今でも全然通用する橋ですね。

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このアーチ橋をくぐって先に進みます。

醤油蔵・麹室にやってきました。

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讃岐の醤油は1810年ごろ小豆島を中心につくられていたそう。
実は明治中期から昭和10年代は全国2位の生産量だったとか。
こちらの建物は香川の大川郡引田街のもの。

建て門の対面の壁には醤油の樽。

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めちゃくちゃ並んでいますね。
この丸い口を見てるとちょっと気分が…w

中は大きな仕込み桶。

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醤油づくりについてはよくわかりませんが。
櫂入れの工程で使うものらしく。
熟成諸味をつくる大きな桶なんだとか。
桶の容量から二十石桶だとか三十石桶だとか呼ばれている。
ちなみに二十石だと3600リットル。
桶底の大きさから五尺桶だとか六尺桶とか呼ばれているんだって。
五尺は1.5m。

仕込み桶にちょこんとついている小さな桶。

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これはため桶というらしく。
仕込みの時の汲み水を運んだり、諸味を桶から取り出したり、製品の醤油を運んだりと用途はたくさん。

隣の建物はフナバの展示。

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この大きな木?はオシブネと言い、諸味から粕をとるために使う道具。
中に着見上げた絞り袋をテコの原理を用いて醤油を絞り出すんだとか。
オシブネが置かれた作業場をフナバというんだって。

味のある醤油の壺が展示。

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こういうの好き。
ちなみにこの醤油ってめっちゃ入るけど、この壺に入れて賞味期限ってどんなもんなんだろ。
当時は冷蔵庫とかもないしね。

醤油メーカーのラベル。

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こういうのも好き。
レトロな感じでキュンキュンしますw

この台は売り台。

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店先での醤油の販売に使う台。
台の隅に穴が開けられ、台の上でこぼれた醤油はその穴から下の甕に流れる仕組み。

こちらは麹室。

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その名の通り麹を作る部屋。
加工した大豆と小麦を種麹を入れたモロブタを積み上げて4日間かけて醤油麹を作る。

これがモロブタ。

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お酒やお味噌も同じような感じで作っていたんだろうか。

建物の前には年季の入った自転車が。

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昭和初期くらいはコレで売っていたのかな?
重労働ですね。

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