百間廊下の続きです。
とにかく長い百間廊下。
この名前も由来もとにかく長いからってことらしいです。
当時は女中たちが暮らしていた部屋ということなので、たくさんの人が働いていたんですね。

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長い廊下が続く。

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ちなみに城内側が部屋で城内側がお部屋になっています。

そしてなんと2階建て!

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というより、城の構造上進んで行くと上に上がらなければいけないという感じかな。

このお部屋ですが…。

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とても大きな扉があります。
これは廊下の大戸と呼ばれ、建物内とは思えない頑丈な造り。
というのも女性が暮らしていたため、毎晩キチンと閉ざしていたそうな。
意外と女性の権利が守られている江戸時代。

大戸前の部屋。

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部屋というより踊り場的な感じかな。
おそらく攻撃の際の待機場所にもなっていたのではないかと。

下の方を見ると小さな穴が。

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コレは狭間と呼ばれる鉄砲や弓矢を放つための穴。
お城の城壁によく〇や△、☐のマークを見ると思いますが、それも狭間。
防御施設を兼ねていたこともあり、たくさんの狭間がありました。

ちなみに蓋付。

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おそらくコレは通常は外から狭間だとわかりにくい造りにしていたのかと。

当時の姫路城の見取り図。

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全てが現存するわけではないけど、基本変わっていないのがスゴイですね。

どちらかというとこの2階っぽいところが女中部屋があったところかな?

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先ほどまではあまり部屋もなかったので。
そして例の大戸が夜はキチンと閉められていたのでしょう。

城内側のお部屋はこんな感じ。

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それなりのスペースはあります。
でも1人部屋ではないでしょうね。
おそらくこれくらいの部屋は江戸時代では1家が住む広さなので、5人部屋とかだったのでは。

またまた狭間と石落とし。

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上の窪み部分が石落とし。
石落としって石を落とすのかと思ったら、これも鉄砲や弓で攻撃する防御施設なんだって。

窓から外を見てみた。

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意外と結構高い場所にあるのね。

かつての女中部屋だった各部屋には、姫路城を築いた際の伝統技術についてパネルで紹介されていた。

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瓦や木組、漆喰等の日本が誇れる伝統技術ですね。

コレは滴水瓦。

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この滴水瓦とは雨水を集めて滴らせる役割を持つ瓦。
そして家紋がとてもシックで素敵です。

そして姫路城と言えばの千姫のアレコレもパネル展示。

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千姫の一生って結構波乱万丈。
まぁこの時代のお姫様ってそうなのかもしれませんが。

幸か不幸か徳川家康の孫として産まれた千姫。
7歳で豊臣秀頼に嫁ぎ、その後大阪夏の陣で豊臣家は敗北。
豊臣秀頼は自害しましたが、千姫は大阪城から脱出。
その時秀頼の命を助けてほしいと家康に願い出たらしいのですが却下。
徳川、豊臣の家の関係は複雑ですが、秀頼と千姫の仲はよかったそうです。
その後21歳の時に本多忠刻に嫁ぎ姫路城へ。

まだハタチそこそこの人がかなり苦労していますよね。

本多忠刻は千姫が見初めたと言われているそうで。
姫路城で過ごした時間が千姫にとって一番幸せな時間だったと言われています。
2人の子供に恵まれましたが、長男は3歳で死亡。
その後本多家の繁栄と男子出生を願う日々を過ごしましたが、本多忠刻が千姫26歳の時に死亡。
その後姫路城を去り、千姫は出家し、70歳で生涯を閉じたそうです。

うーん。
濃いですよね。

コチラは千姫が作ったとされる羽子板のレプリカ。

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てか、めちゃくちゃすごい出来なんですが!

最後まで歩いていくと化粧櫓に到着。

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ココは千姫が本多忠刻に嫁いだ時に将軍家から送られた10万石の化粧料の一部を使用して作ったとされています。

奥には怖い…千姫様が。

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普通に怖いですw
ちなみにこの化粧櫓は18畳、15畳、6畳の三間続き。
千姫がココから西北にある男山天満宮を遥拝する際に使われたものだとか。

ふう。
これにて百間廊下は終了。
かなり長かったです。

で、何よりも人がいないのがよかった!

姫路城についてのアレコレはLINEトラベルjp記事の『天守閣だけじゃない!知れば知るほど面白い世界遺産「姫路城」』でご紹介しています。

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