舞子公園の散策の続きです。
お次は昭和初期の和風住宅、旧木下家住宅です。
ただ、コロナ時短で翌日にも来ることになったのですが…。
ランキングに参加しています。
お次は昭和初期の和風住宅、旧木下家住宅です。
ただ、コロナ時短で翌日にも来ることになったのですが…。
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舞子公園にこんな碑がありました。


これは明治天皇の歌碑。
明治天皇は舞子がかなりお気に召されていたとか。
というのも、なんと7回もココを訪れたとか。
地方のそこまで有名でもなさげな舞子を7回も訪れるってなかなかですよね。
さて、旧木下家住宅へ向かいます。

この木下家住宅は舞子公園の一部ですが、移情閣や旧武藤山治邸の近くではない。
駅の山側すぐの場所にあります。
道を進んで行くと…。


小さい神社みたいなのもあり。
このすぐ近くにあるのですが…。

なんと時短で16時まで。
この日はもう16時だったので時間切れ。
門から覗いてみますが…。

大きな家なので家が見えませんね。
しょうがないので明日また来るかー。
せっかくだから旧木下家住宅がある丘っぽいところを歩いてみる。

初めはココが松林だと思っていたんだよね。
だからバシバシ写真を撮ってみたけど実はココじゃなかった件w


まぁ、ココも一部と言えば一部かな?
ということで、翌日仕切り直し。

この日はちゃんと開いていました。
とっても風情ある入口ですね。

そして家が全く見えません。
家に着くまでの道も素敵です。

しばらく歩くと…。
建物が見えてきた。


コチラは前庭にある入口。
なので玄関ではないのですが。
園路と前庭を繋ぐ伽藍石。

伽藍石とは社寺の柱の礎石を庭園に転用したもののこと。
ココから見る旧木下家住宅のお屋敷がとても素敵。


この旧木下家住宅は数寄屋造近代和風住宅で、国の登録有形文化財。
創建時の姿をほぼ完全に残っているということで、阪神・淡路大震災のあった神戸では特に貴重な建物。
平屋建てだけど、上に屋根裏っぽい厨子があり、町屋風でもある。
向かって左手にある書院。

軒が張り出しているのは伝統的な数寄屋座敷の仏間らしい。
この旧木下家住宅はとても窓が広くて開放的。

どうやら2000年までは実際に木下家の方が住んでいたらしい。
とても丁寧に住んでいたんだなーという印象。
その後、兵庫県に寄贈されたんだとか。
それでは早速内部にも入ってみましょう!
次回も楽しみにしてくださる方はクリックをお願いします。


これは明治天皇の歌碑。
明治天皇は舞子がかなりお気に召されていたとか。
というのも、なんと7回もココを訪れたとか。
地方のそこまで有名でもなさげな舞子を7回も訪れるってなかなかですよね。
さて、旧木下家住宅へ向かいます。

この木下家住宅は舞子公園の一部ですが、移情閣や旧武藤山治邸の近くではない。
駅の山側すぐの場所にあります。
道を進んで行くと…。


小さい神社みたいなのもあり。
このすぐ近くにあるのですが…。

なんと時短で16時まで。
この日はもう16時だったので時間切れ。
門から覗いてみますが…。

大きな家なので家が見えませんね。
しょうがないので明日また来るかー。
せっかくだから旧木下家住宅がある丘っぽいところを歩いてみる。

初めはココが松林だと思っていたんだよね。
だからバシバシ写真を撮ってみたけど実はココじゃなかった件w


まぁ、ココも一部と言えば一部かな?
ということで、翌日仕切り直し。

この日はちゃんと開いていました。
とっても風情ある入口ですね。

そして家が全く見えません。
家に着くまでの道も素敵です。

しばらく歩くと…。
建物が見えてきた。


コチラは前庭にある入口。
なので玄関ではないのですが。
園路と前庭を繋ぐ伽藍石。

伽藍石とは社寺の柱の礎石を庭園に転用したもののこと。
ココから見る旧木下家住宅のお屋敷がとても素敵。


この旧木下家住宅は数寄屋造近代和風住宅で、国の登録有形文化財。
創建時の姿をほぼ完全に残っているということで、阪神・淡路大震災のあった神戸では特に貴重な建物。
平屋建てだけど、上に屋根裏っぽい厨子があり、町屋風でもある。
向かって左手にある書院。

軒が張り出しているのは伝統的な数寄屋座敷の仏間らしい。
この旧木下家住宅はとても窓が広くて開放的。

どうやら2000年までは実際に木下家の方が住んでいたらしい。
とても丁寧に住んでいたんだなーという印象。
その後、兵庫県に寄贈されたんだとか。
それでは早速内部にも入ってみましょう!
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