シーギリヤ・ロックは7時オープンなので7時と同時に行きたかったのですが、朝食の時間が6時半からじゃないとダメらしく(6時がいいって言ったら断られた…)、7時過ぎに宿を出ることに。
この宿からシーギリヤ・ロックの入口までは5分程、そこからチケット売り場まで15分程。
歩くのが面倒な人はトゥクトゥクで行っちゃうのもアリかも。

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朝5時半ごろに起きて用意を済ませて朝食を。

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紅茶とスリランカのホッパーやパンケーキ等。
お手頃なお値段の宿にしてはしっかりした朝食。

チェックアウトは11時なので戻ってこれるかわかんないのでチェックアウトして荷物を預かってもらってから出発!

たびねす記事でもこのシーギリヤをまとめた『スリランカの天空宮殿!古代都市「シーギリヤ」』を書きましたのであわせてご覧ください!

宿から5分程のところにある入口。

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ココまではふつーに近いんだけどね。

ここからがめっちゃ遠いの!

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だって先が見えないし。
この道を15分程歩いたら駐車場に到着。
朝は涼しいからいいけど、お昼はトゥクトゥクで行くのがベストかも。
ココで体力使ってる場合じゃないからね。

チケット売り場に到着。

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7時半ごろだったけど結構続々と入場していきます。

チケットは結構しっかりしたもの。

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お値段4500ルピーor35ドル。
またまた値上がっちゃってるし。
ちなみに隣のシーギリヤ博物館は日本の援助で建てたらしー。
そこに税金使われるのは別にいいんだけど、日本人割引してほしい!

シーギリヤ・ロックの見取り図。

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もちろん岩の上の宮殿が見所ではあるんだけど、周りにも庭園があり見所たくさん。

ココがチケットチェックのある本来の入口。

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左右の白い建物でチケットチェックがあります。

シーギリヤ・ロックに入るとビューポイントとかかれた案内があったのでそちら側にいってみることに。

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ここがベストスポットかとゆーと微妙なところなんだけど…。
周りの水の庭園も見渡せるってことではいいのかも?
ちなみに午前中は逆光…。

入口近くにある水の庭園。
ココは王の沐浴場。

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一説には王のためではなく、王の側室のための沐浴場だったとか。
ちなみに側室の数は500人もいたそう…。

またこのシーギリヤには沐浴場の他に、水路や貯水池など、水を循環させるための施設が整っていて上下水道も完備!
頂上の宮殿には風車の動力で水を上に汲み上げており、5世紀の技術とは思えない!

真っ直ぐに延びる道にはシーギリヤ・ロックが。

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ほんとこんなところに宮殿建てちゃうなんてすごい…。

ココでこのシーギリヤ・ロックについての歴史をご紹介。
何故、こんな場所に王宮の建てたのか?その背景には複雑で悲しい歴史が。

この「シーギリヤ」を建てたのはカーシャパという名の王。
カーシャパは前王ダートゥセナ王の長男だったけど、母親が平民の女性であったため、貴族の女性との間に生まれた腹違いの弟に王座を奪われるのを恐れ、父であるダートゥセナ王を殺しちゃいました。
父を殺した後悔や苦しみなのか、弟の復讐を恐れたのかはわかりませんが、7年の歳月をかけてこの巨大な岩の上に王宮を建設し、11年間の間このシーギリヤを統治。
その後、弟との戦いに敗れたカーシャパは自ら手で命を絶つ。

なんだか孤独な人生…。
で、なんでこのシーギリヤ・ロックが見つかったのかとゆーと…。

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シーギリヤ陥落後はしばらく修道院として使われてたけど徐々に衰退しちゃって、人々からは忘れられた存在になっちゃってたみたい。
まぁ、この岩は遠くからも見えてただろうけど、まさかこの上に宮殿があったとは先の時代の人たちは思ってもなかったと思うんだよね。
で、ジャングルの中に埋もれていたこの宮殿が発見されたのは1875年。
カーシャパが亡くなった1400年も経ってからのこと。

それで、シーギリヤが発見したのはイギリス植民地時代に望遠鏡でシーギリヤ・ロックを眺めていたイギリス人。
望遠鏡で眺めてたら、なんか岩山にキレイな絵があるなぁと思ったそう。
その色鮮やかな絵とは「シーギリヤ・レディ」。

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今は写真撮影不可なんで、シーギリヤ博物館のレプリカです。
なんで岩山に絵なんてあるんだ?って思って調べてみたら、王宮はあるわシーギリヤ・レディはいるわで掘り出し物わんさかってカンジだったのかと。
イギリス人の発見によって、シーギリヤはシーギリヤ・レディの美女たちと共に長い眠りから目覚めたらしー。

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