やっぱりポンペイ遺跡は広い。
それにヤバイくらいの日差しが手伝って、何度もくじけそうになるくらい。
でも頑張って歩き続けることができるくらいポンペイの街は魅力たっぷりでした。
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東側の一番賑わっている通りアッボンダンツァ通りへ。
コチラには居酒屋やパン屋等がたくさんあり、朝はパンを買いに来る人、夕方には仕事終わりに一杯って人が多かったんだろうなぁ。
ところどころにある横断歩道。
そして馬車が通ったと思わしき跡も。
結構深く残っていて、何度もココを行き来した主要道路だったんだろうね。
後思ったのが、結構歩道の高さが高いなぁと。
古代の人はこんな高いところ上がるの苦労するんじゃないかと言うか、上がれたの?みたいな。
交通ルールが厳しく車道は絶対歩いちゃダメだったとか?
通りには居酒屋が。
2000年前なのに、こんなお店屋があることがスゴイ。
この丸い穴は壺が埋め込まれていて、ワインやお惣菜っぽいのがココに入っていたそう。
壺なので結構奥がある。
石に囲われてるから暑い日でも多少の保冷効果はあったかも。
このカウンターでワインを立ち飲みなのかな?
多分イタリアの文化であるバールのモトはココからなんだろなぁ。
階段っぽいのは商品棚?
コレって何てゆー道具だったっけ?
ココでごりごりして、精米する的なイタリア的道具だと。
もちろん米じゃないと思うけど。
ぐるぐる迷いながら辿り着いたステファノの洗濯屋。
この時代洗濯って概念があったことがスゴイ。
洗剤は人や動物の尿≠アンモニアが原料だったとか。
こんな四角いスペースが何個かあったので、洗濯、すすぎ、脱水みたいに用途ごとに分かれてたのかな。
結構大きなお家だったから、かなり儲かってたと思う。
かなり東まで来て大体育場に。
入れなかったので盗撮しました。
とりあえずめっちゃ大きいことはわかる…。
どうやら真ん中にプールがあったらしい。
真ん中にプールってある意味使いづらいと思うんだけど。
体育場の隣は円形闘技場。
コロッセオに比べるとだいぶ簡素な造りに見える。
でも、2000年前を考えるとすごすぎるけど。
闘技場の中に続く道。
この建物は紀元前80年のもの。
かなり大きい建物で、全市民が見れるように郊外に建てられたそう。
郊外と言ってもココも徒歩10分以内w
もう造り的にふつーの球場と変わりないんじゃないかなー。
ちょっと手を加えたらすぐにでも球場として使えそう。
てか、ココ闘技場なんだけどねw
人の大きさと比べるとこの闘技場の巨大さがわかる。
猛獣や剣闘士の戦いがココで繰り広げられてたんだねー。
娯楽と言えば闘牛!みたいなカンジで、やっぱり一番人気だったんだろうなぁ。
この辺りはヴィーナスの家とかロレイウス・ティブリティヌスの家とかの見どころがあったのですが、全て立ち入り禁止。
なのでココかなぁ的なお家を適当に盗撮。
見れなかったところもあったけど、とりあえず今見れそうなところは全部見たかな…。
ホントは戻って、もう一度みたいとことかもあったのですが…。
この時点で遺跡に入って既に6時間を経過していて、体力も限界なので、後ろ髪をひかれつつ退散。
入場したマリーナ門しか開いてなさそうなので、木々がいっぱいのステキな裏通りを通りつつ。
日本の卑弥呼の邪馬台国も魅力的だけど、ポンペイの遺跡はそれと真逆なカンジが、もうスゴイの一言。
ポンペイの2000年前の文明は、電気やガスとかはないとしても、それ以外は現代の生活となんらかわりない。
ほんと来てよかったー。
もし次回くることがあれば、真夏はやめよう…。
ポンペイ遺跡をでたら喉がカラカラなので、お水とレモンジュースを。
3ユーロとぼったくり価格だけど、めーちゃ美味しくて10秒くらいで飲んじゃった。
このままいったんホテルに帰ろうかと思ったけど、ちょこっと(とゆーよりも大がかりなw)寄り道をして帰ります。
続きは次回で。
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